2017年10月 / 09月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫11月

--.--.-- (--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
EDIT  |  --:--  |  スポンサー広告  |  Top↑

2014.10.08 (Wed)

大変、ごぶさた失礼しました。

ここしばらく、海外に滞在しておりまして。
仕事を兼ねて久しぶりに海外に長期で行ってまいりました。

sato様
tomo様
コメントありがとうございます。
向こうにPDは持っていってたんですが、なんか毎日がフル稼働で、メールしかしてませんでした。

嵐のハワイライブ、ファンの方達は満足されたみたいですね。
初ライブビューイングは、かなり好評のようで、ハワイに行けなかった人達も
一緒に15周年のライブを楽しめたみたいで、事務所もなかなか粋なことをしてくれました。
私の嵐友さんも、ツアー抽選ははずれましたが、現地でチケットを調達できて二日間とも参加できたようです。
一日目に学習して、二日目は後方の席でも目の前にメンバーが来てくれる場所に
早くから陣取って、かなりの近さでご尊顔を拝めたそうです(笑)
結構、現地の方々もいて、ジャニコンのマナーを知らない人達がいたみたいですが
それは仕方ないですよね。ただ、録画していた人がわりといたってのがなあ・・。
まあ、あっちのライブは撮影OKなことが多いので、悪気はなかったのでしょうけども
スタッフは何してた?って、これも日本のスタッフのようにはいかないか。

初日に智くんが大泣きに泣いたところは、私ももらい泣き。
いろんな思いが胸に来たんだろうなあ・・・あの会場のみんなを見て。
いつでも辞めようと思って就職したジャニーズ事務所。
大野?誰?とざわついたデビュー会見。
自分のうちわの数を心配した初コン。
チケットが売れなかった頃の事、もちろんメンバーはそれを知っていたはず。
15年間、ハッピーばかりじゃなかった。
腹が立つこと、悲しいこと、虚しさ、心身ともに疲労したこと、
いわれのない中傷、ゴシップ記事が出ても無言を貫かなければいけない理不尽さ、
それはそれは、10代の少年の頃から特殊な世界に身を置くストレスはハンパなかったはず。
それをみんなでひとつひとつ乗り越えて、今がある。
彼らがこの5人でよかった、というシンプルな言葉をいつも口にするのは決して嘘偽りではない。

ところで、2014年のライブツアーの申込み、それだけは、ちゃんとすませときました。
結果・・・京セラ当選しました。
本当は27日が良かったんですが、そっちはハズレ(涙)
なんのかんの、毎年いけてるこの幸運!
なんのかんの、毎年FC更新していて良かった。
なんのかんの、やっぱり嵐だね!
今は一歩引いたところから、嵐を見つめているけど、
彼らは私の最強のアイドル最終形態。
スポンサーサイト
EDIT  |  14:11  |  日記  |  TB(0)  |  CM(6)  |  Top↑

2013.10.31 (Thu)

嵐は今どこらへん?

約1年もここを放置していたのだ、とびっくり。

この1年、いろんな変化が起きた。
一番は春ごろ会社を辞めて、仲間とワークショップのようなものを立ち上げている最中。

収入は激減した。でも、気持ちがものすごく楽になった。
結構会社では重要なポストにいたから、ありがたい事にかなり引き止められて
長い間お世話になったし、人間関係も良好で辞める理由がだんだん自分でもわからなくなったりして
何度か、もう少しがんばります、と翻意したけど、結局は退社した。

何度も送別会を開いてもらい、今でも元同僚達から飲み会によばれているけど
それも時間が経つにつれ、みんなの仕事や会社内の会話について行けない自分を発見する。
辞める前は、私しかできない仕事もあったから、ずいぶん心配もした。
後任の人に仕事の引継ぎをしてからも気にかけていた。
実際、退社後も何度も後任者から質問の電話をもらって、会社に出向いて教えたこともある。
それも2ヶ月もするとなくなった。

なんだ・・・別に、どうにかなる事だったんだ。
会社や社会とはそういうものなんだ。私がいなくても、歯車は回る。
あと数年も経てば、元同僚達とも疎遠になってるんだろうなあと思う。

そう!
そこで、嵐、なんですよ。
退社してから自由になる時間が増えて、さあ!我慢していたアラシゴト、サトシゴトやるぞ!
と思ったけど、すでに嵐号ははるか彼方へ行ってしまい、私は完全に乗り遅れてしまっていた。

嵐担になりたての頃、なんだか自分ひとりで気負っていたというか
まだナンバーワンじゃなかった嵐さん達の夢をかなえて上げたい、と
CDは必ず初回通常と買っていたし、雑誌もすべて購入していた。
CMの商品は大量買いで、友達や会社でみんなに分配していた。
カレーやシチューの時は、結構ありがたがられた(笑)

いまや私なんか別にいなくても、嵐は突き進んでる。本当に巨大な嵐となって。
掲載雑誌を毎号買ってたら家の床が抜けるし、CMの商品だって大量買いできないくらい多いし
だいたい車とか家電とか大量買いするもんでもないし。

今回のライブツアー、会社の先輩の嵐友さんとともに落選。
私達は、家族名義をそれぞれ1つづつ持ってるから4名義あるけど
今回は全滅だった。
でも、周囲の嵐友さんから言わせると、それまで毎年1回でも行けていたのが奇跡だ、と。
そうなのよ、FC入会以来、4年も当選なし、とか当たり前に聞く。
そのツケが回ったのか、ワクワクもアラフェスも行けず、ライブツアーも行けず、という結果。
今年は一度も嵐さんに会えないんだっ

でも、あまり悲しくない自分に驚いている。
嵐との距離、それがすごく開いてしまったんだと実感した。

嵐というユニットは、なんだかジャニーズの中では異端だったんじゃないかなと思う。
彼らの功績は、もちろん事務所に多大な利益をもたらしたことにあるけど、
それ以上にすごい恩恵を事務所は受けたと思う。

彼らは、ジャニーズアイドルというハードルを実に多くの老若男女に越えさえた。
周囲の人に聞いても、嵐以前はジャニーズに興味がまったくなかったという人の多いこと!
それどころか、私もそうだけどアンチでさえあった人も多い。
そんな人達さえやすやすとハードルを越えさせる何かが彼らにはある。

嵐は、ジャニーズへの門戸を大きく開いた。
たとえ嵐ファンを辞めようとジャニーズという魅力を知った人達は、他のグループに移って行く。
昔、よくめぐっていたアラシックさん達のブログを久しぶりに訪問してみたら
ほとんどの方が、担降りして他G担になられていた。
それがほぼ同じ時期だったのに、妙に納得した。
5X10の後。
デビューからのファンの人達にとって十周年は一区切りついたって事だったんだろうか。
だからまたこれからのグループを応援し育てたいっていう。

でも、私は違う。
私は嵐ファンであって、ジャニーズファンではない。
他グループを以前よりは興味をもってみるようになったけど、
嵐に対するような高温な思いはまったくない。

でもその温度も変化してしまった。
CDもDVDも初回盤の予約が難しくなり、コンサートチケットも当たらなくなって、
距離を感じるようになった時、私は今の嵐さんが好きなんだろうか?と疑問に思った。

今は冠番組や音楽番組を録画することもなくなって、智ラジオも録音してない。
24時間テレビも何かをしながら、たまに見ただけだし
今年も紅白司会か、へえ~って思っただけ。
前は彼らに触れるたびに新しい発見があったけど、今は「超絶安定の嵐さん」だわ。
でもたくさんのSweet Memoriesは、この胸の中にある。

嵐さん、このまま突き進んで行きなさい。
でも私は一番好きだったころの嵐さんとずっと一緒にいるよ。
EDIT  |  02:02  |  日記  |  TB(0)  |  CM(16)  |  Top↑

2011.03.26 (Sat)

今、水を買いに来てる

日本が大変な事になっています。

あの日、得意先の方と打ち合わせ中、急にめまいがした。
最近、働きすぎなんだわ、と思いつつ話を続けようとしたら、
先方さんが「地震・・・ですよね?」

あ、そうか・・・地震か、でもすぐに収まるだろうと思ってたら、長い間揺れていた。
震源地は近畿か東海のどこかだと思っていた。
まさか、北のほうで起きた地震が、大阪をそこまで揺らすとは思ってもみなかった。

揺れは2回来た。それでも無事打ち合わせを終えて、自分の部屋に戻ったら、
後輩が、「大変ですよ!宮城県沖で8.2の地震ですよ」
えー、宮城の地震が大阪にも震度4の影響?

すぐに留学中に知り合った東北在住の友人達のことが頭に浮かんだ。
何人かに電話をしたけど、当然のように通じない。
なんだか胸がドキドキして来た。
会議室に行ってTVをつけると、上司はじめみんなが集まって来た。
その時見た光景は、一生忘れないだろう。

日本で現実に起こっている事なのか・・・。
最初は、すげぇ、恐い、などと言っていたみんなが
そのうち言葉も失くして画面を見ていた。

東京でも被害が出ていると聞いて、一番先に思ったのは、
友達より、智くんの事だった。ごめん、友達がいのない私で。
智くんはどこにいたんだろうか。ロケとかで北の方に行ってないよね。
釣りで海に出てないよね。
嵐5人が大丈夫と知るまでは心配した。

東北の友人達からは3~4日で連絡があった。
避難所にいる子もいれば、自宅がめちゃめちゃになってても住んでる子もいるけど
とにかく、みんな助かってた。良かった!
命があれば、これから何度でも立ち直れる。

関西の震災からだって、立派に復興できた。
あの時は、これからどうなるんだろう、とみんなが不安だったけど。

今回はもっと大規模だし、原発の問題もあって深刻だけど、
絶対、大丈夫。乗り越えて行ける。

今、私にできる事を考える。
大量に回って来るチェーンメールは絶対よそへ回さない。
節電だってできる限りしよう。
義援金も物資の寄贈もした。
でも、なんだか無力な自分を感じる。
そんな事しかできないのか。
まだまだ救いを待って寒さに耐えている人達がたくさんいるに違いない。

関西の震災の時もそうだったけど、優れたリーダーシップを持つ人が国のトップにいないのは不幸だ。
みすみす助かる命がそれで失われて行く。
原発の風評被害もすごい。それも国が納得行く説明をしないからだ。

きのう、会社帰りに大手スーパーへ寄った。
後ろで声が聞えた。
「あ、私。さっき大阪に着いてスーパーに来てるんだ。でも、水は一人2Lボトル2本までってなってるんだよね。どうしよう」
思わず、私は振り向いた。
30代ぐらいの女性二人がカートいっぱいにいろんな物を入れていた。
子供さんを持つお母さん達だろうか・・。
しかし、水を買いに大阪に。
電話をしている人は「わかった。他もまわってみる」と言って電話を切った。
東京方面から車で来たんだろうけど・・・、
水はもう東京で品切れなんだろうか。

関西は地震の影響はほとんどなく、いつもの日常が過ぎていると思っていたけど、
関東で起きているパニックは、笑い事じゃないかもしれないな、と感じた。

亡くなられた方の中には、嵐ファンの方もいただろう。
とっても胸がふさがれる。心からご冥福をお祈りします。
今は浮かれた内容のブログ記事をずっと書けないでいる。

だけど、日本人みんなで一緒にがんばろう!
今はチーム日本のために。
EDIT  |  11:30  |  日記  |  TB(0)  |  CM(3)  |  Top↑

2009.06.28 (Sun)

MJ

ここ数日のベストアルバムとコン情報で、うろうろさせられたけど

ものすごく偉大な人が天に召されちゃったんだな・・・
巨万の富を手にいれたのに、死ぬ時は巨額の借金がある・・・
アメリカらしいわ

私がアメリカでウエイトレスのバイトをしていた日本料理店に
以前、マ●●ナが来た事があった、と先輩ウエイトレスからきいた事があった
でも、すごく屈強なボディガードを何人も連れていて、トレーナーが一人ついていた
その人がカロリーやら栄養やらを計算して、食事を制限していたそうだ
うーむ・・・。すごいな、スーパースターは・・・しかし、いやだ、そんな生活、と思った。

アメリカのスーパースターは、成功と比例しておかしくなる人が多いな、と思う
集まるお金がハンパじゃないくらいすごいから、それに群がる汚い人間に接して
どんどん人間不信になり、宗教やドラッグに逃げる
どれだけの才能ある人が、麻薬によってこの世を去ったか・・・・

母はちょうどマイケル世代だから、すごく嘆いている。
マイケルは、ステージパフォーマンス、PV、プロモーション・・・と
後の音楽シーンに多大な影響を与えた人だよね
でも最近のマイケルは、いろんな揶揄や中傷や奇行でしか噂にならず
もう、彼がステージに立つことはないのかな、と思っていた。
ロンドンでの最後の公演も、ほんとうにできるんだろうか?と危惧していた。
それでもファンはきっと、歌わない、踊らないマイケルでもいいから待っていたと思う。

私は数あるマイケルの名曲の中で「Rock With You」が好き。
マイケル独特の声質に曲と歌詞が合ってる。

やっぱり、エンタティナーはステージに立ち続けて欲しいなぁ
これから伝説がはじまるんだろな。エルビスのように。

合掌
EDIT  |  00:42  |  日記  |  TB(0)  |  CM(4)  |  Top↑

2009.04.21 (Tue)

グループサウンズ

今回は、ちょっと母のことを。

母は若いころから洋楽ファンで、数々のライブに行きまくっていた(今でも時々行く)、って事は
たびたびここで書いた。特にQueenのファンでフレディさんに心酔している。
今でも母の洋楽の知識は最先端で最近嵐にかまけている私はたちうちできない。
私も今でももちろん洋楽好きだけど、アンチジャニだったのは
やっぱり母の影響で、それだけはちょっとうらんだ・・・。

「岡本信」という方が亡くなった、とヤフトピにあった。
驚いた事に母が激しく反応した。調べてみるとその方は昔アイドルだったんですね。
ヨウツベで動画を探してみると、ははーん、長身のハーフっぽいイケメンで母好みだった。
でもイケメンだけではなくて、歌唱力も相当な方だった。
最近の動画もあったけど、ロマンスグレーという言葉がふさわしい渋いおじさまだった。

母がしぶしぶ白状したところによると、子供のころ、グループサウンズ(変な言葉だ)という
今のジャニなんかぶっ飛ぶくらい若い子を席捲したアイドルバンドブームがあったそうだ。
母も実は洋楽以前にそのブームに乗っかって、年齢を偽ってコンサートに行って
補導された事があったという(笑)

へぇ~~~~~、だった。さらに・・・母は沢田研二さんが一番好きだったのだそうだ。
もっとへぇ~~~~と驚いた。母が言うには、ジュリーは別格だったそうだ。
歌もうまくて、中性的でいてセクシー。常に時代の先端をいっていたが常識人という変り種。
私の記憶ではなつメロとかで昔の映像を時々見たり、ものまねの人で知る程度だったけど、
またヨウツベで探してみたら・・・なるほど、大変美しい男の人だったのだな。
母「キムタクとか松潤どころやなかったよ、女の子がみんな気を失うねんから」
笑ったー

母が一番好きだ、という歌をきいてみた。「君をのせて」というバラードで、
なんだか・・・感動した。ほんとにいい歌だった。すぐにi-podに入れた。
ヨウツベをめぐると、今でもたくさんのファンの方が熱い思いでコメントされていて
ジュリーって何歳?えー、還暦?ってびっくりした。
60歳になっても女性の心をつかんでいるアーティストって、日本にもいるんだ、と。
そして、さらにびっくりした事に、ケンジ・サワダは海外にもたくさんのファンを持っていた。
フランスでゴールドディスクをとったことがある・・母はその後洋楽に行ってしまったので
その事を知らなかったらしく、母も驚いていた。

智くんが還暦のころ、どうなってるだろうなぁ~智くんならダンスできるんじゃない?
私はその時もこうやってPCの前で目をしょぼつかせながらも、智くんの事を書いていたいなぁー

親の若いころの話をこんなに身近なものとしてきいたのは、初めてだった。
やっぱ、親にも若いころがあったんだなぁ~(笑)
EDIT  |  21:51  |  日記  |  TB(0)  |  CM(19)  |  Top↑
 | BLOGTOP |  NEXT
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。